ネッカたまご誕生秘話

昭和46年1月6日 運命の日

「今までを振り返ると、たら、れば、の連続だった。その最たるものが、忘れもしないあの日であった ―― 」

ネッカリッチによって、健康を促進された鶏から生み出される良質卵“ネッカたまご”も、その誕生には先人たちの苦労がありました。

ネッカたまごの成立に最も貢献した中の一人が有限会社山陰ネッカリッチ創業者の白根正志です。白根は島根県松江市郊外の養鶏農家に生まれました。家業を継ぐため、アメリカへ養鶏武者修行に行った後、故郷へ戻り、養鶏業を行っていました。また、その頃同時に鳥取経済連に勤務し、地元の養鶏関係のお世話などにも携わるようになりました。

当時、鶏の健康にまで考慮するという考え方はまだ世間一般的ではありませんでした。飼料には化学薬品のサルファ剤が添加され、鶏の胃が荒れ、下痢が絶えませんでした。

そこで白根は、鶏の下痢をなくし、鶏の健康を維持するにはどうすればよいか、と考えるようになりました。鶏の健康にも配慮した養鶏業を追求するようになったのです。

当時の鶏舎
当時の鶏舎

ネッカリッチとの出会い

今から約40年前の昭和46年1月6日。その日が、白根にとっても運命を変える一日となりました。

白根は日ごろ使用している飼料会社へ、日本酒を提げながら新年のあいさつに伺いました。すると、担当の塩野氏(故人:山陰ネッカリッチ元取締役専務)から「白根さん、こんな商品がありますが、どうですか?鶏の下痢に効くかもしれませんよ。」と、紹介を受けます。

そこにはたまたま山口県から薬品会社の人が居合わせていました。広葉樹皮を乾溜させてできる炭と木酢液を混ぜ合わせた新型の飼料を持ってきていたのです。

白根はさっそく試してみました。すると鶏の下痢が止まっただけでなく、あらゆる面で鶏の健康によいということが分かったのです。

白根は、この“秘薬”を早速県内の養鶏家仲間に紹介して回りました。

森脇實氏(当時:森脇鶏農場社長)から「鶏の健康だけでなく、産まれた卵の質までよくなる」という連絡が届いたのは間もなくのことでした。

仲間との研究

「この世はタライの中の水のようなもの。押しのけようとすればするほど、後から強く跳ね返ってくる。仲間と共栄を図ることが大切だ ―― 」

白根はその秘薬がなぜよいのか養鶏家仲間たちと共同研究を行いました。そして、共同研究の結果、経済的効果を確信すると、初の差別化商品としてネッカエッグを売り出します。

県内ナンバー・ワンのシェアを得る大ヒット商品となるまでには幾多の困難もありましたが、仲間たちと共に乗り越えることができました。

また、経済的効果の研究だけでなく、科学的研究にも取り組みました。坂井田節農学博士(現岐阜聖徳学園大学教授)や、元島根経済連新畜産技術センター福島義信獣医学博士などに協力を仰ぎ、炭と木酢液からなる秘薬の解明に徹底的に取り組みました。

やがて、ネッカリッチの効能は昭和52年の学会で正式に認められました。

研修風景
研修風景

更に高品質な“ネッカたまご”の研究

「“孫悟空の棒”は存在しない ―― 」

すべて思い通りになるものなど存在しない。これが白根の哲学でした。

万能に見えるネッカリッチも完璧であるはずがない。ネッカリッチを補完し、さらに効力を高めるものが世の中に存在するのではないか・・・?

そこで目を付けたものが、カキの化石を原料とした飼料でした。

岩手県の一関近辺がカキの化石が出土する地域で、付近の農家は昔から、出土する化石を農業に使っていたようです。当時すでに商品化されていましたが、白根はこのカキの化石を原料にした商品のうわさを聞き、興味を持ちました。それが現在のミネカン・ネオです。

そして、他に海藻にも注目し、ケルプを扱うようになりました。

こうして、ネッカリッチを心棒に、それを補完する形でミネカン・ネオとケルプの商品体制ができあがったのです。